脱ニートした経緯パート1
イジメが原因で中学1年の時は不登校、その後一念発起して高校は皆勤賞を貰って卒業しましたが、大学に入って自臭恐怖症?を拗らせた結果、講義室に入れないし電車も苦痛で中退。
以後は人混みに出ることが困難となりヒキコモリ状態に。。。
ヒキコモリ時代
大学を中退してからは高校時代に脳卒中で倒れた祖母の介護の一端を担って過ごしました。
トイレの介助や食事作り、着替えや洗濯、下の世話等ですね。
特にトイレは一人では無理なので、朝の5時半から夜中の3時まで付き添う必要がありました。
※大学時代、母親も脳卒中で倒れてしまって後遺症があるので頼れません
このままでは僕の人生って・・・という思いと年齢的な焦りが募っていきました。
転機
大学を中退して10年、転機が訪れました。祖母が長期の入院をすることになったのです。
僕は即、脱ニートに向けて動き始めました。
とりあえず新聞折込の求人チラシを眺めてみたものの、10年引きこもって対人スキルが壊滅的に低下した僕がいきなり面接受けたって玉砕するに決まっているので、人間慣れする必要があるのではないかと考えた。
大学中退する手続きの時に、事務の職員さんから悩みとかのある若者向けの『ヤングハローワーク』の存在を教えてもらった事を思い出したので
近場の所在地を調べてみたら電車で1時間かかる県庁所在地にしかない。電車は苦手だし、そもそも電車賃が払えない。
他に手はないかと経緯は忘れたけどネットで色々調べてたら、ニートを支援している『若者サポートステーション』の存在を知った。
偶然隣町にもあるのでチャリで行けるので、勇気を振り絞って電話をしてキャリアコンサルタントと面談してもらうことになった。
若者サポートステーションへ
面談はオオヤさんという女性だった。今までの経緯やらなんやらと希望する職種やらを相談した。
サポートステーションには事前予約制で色々な講座が用意されているようだったが
オオヤさん、『あなたにはこれが良いと思うの!』と言って紹介されたのが職場体験講座。
1日4時間×5日間、本物の職場に放り込まれることになった。